今回は鎌倉時代~江戸時代編です。
前回の古代~平安時代編はこちらです。
書院造
武士の世になった鎌倉時代には接客用の建物が必要になり、寝殿造の広い空間を建具で仕切って、部屋ができました。
柱は寝殿造りの丸柱から、面取り角柱に変わり、外部建具は、引き戸形式の遣戸(やりど)になりました。
掛け軸を掛けた壁の前に三具足(花瓶、香炉、燭台)を置くため、押板(おしいた)という板を造り付けました。この押板が床の間(とこのま)の原型です。
鎌倉時代から発展を続け、室町時代末から桃山時代にかけて書院造が確立されました。
【書院造の特徴】
- 付書院:書き物などをするための造り付けの机。出文机(出窓風の机)が建築化されたもの。しだいに美術品などが置かれるようになる
- 畳:部屋全体に敷き詰める。ここから座敷という名称が生まれた
- 壁、障子(しょうじ)、襖(ふすま)、板の引き戸の遣戸(やりど)で部屋を仕切る
- 天井:一般的な竿縁(さおぶち)天井、格式高い格(ごう)天井、さらに格式が高い折上格(おりあげごう)天井
- 違い棚(ちがいだな)
- 押板・床の間
【書院造の代表的な建物】
銀閣寺東求堂(とうぐどう)
天井についてはこちらをご覧ください
城郭建築
安土・桃山時代には外敵から防衛するためのお城が建てられました。
屋根の妻(つま)側の装飾を破風(はふ)といいます。破風は神社建築に用いられますが、安土・桃山時代には権威を示すために豪華な破風が、城郭建築にもみられるようになりました。
草庵風茶室と数寄屋造(すきやづくり)
草庵風茶室
鎌倉時代に禅宗を通してお茶の習慣が広がり、千利休によって茶の湯が完成しました。千利休は室町時代(戦国時代)から安土桃山時代にかけて活躍した商人、茶人です。
草庵風茶室は自然素材で作られる質素な茶室をいいます。
千利休が作った待庵(たいあん)は二畳の茶室です。
数寄屋造
数寄屋は数寄(すき)=好き、風流を好むの意味です。書院造の形を壊し、茶室の手法を加えた様式を数寄屋造といいます。
【数寄屋造の代表的な建物】
- 桂離宮(かつらりきゅう)
- 修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)
- 西本願寺飛雲閣(ひうんかく)
17世紀の初めに造営が始められた桂離宮は建物群と日本庭園からなります。藍と白の市松模様の襖(ふすま)や桂棚と呼ばれる違い棚が特徴的です。ドイツ人建築家のブルーノ・タウトは桂離宮を「泣きたくなるほど美しい」と評しました。
権現造(ごんげんづくり)
徳川家康を祀っている日光東照宮は、家康が神格化され権現様と呼ばれていたことから、権現造といいます。
日光東照宮は本殿と拝殿を石の間でつないでいるのが特徴です。また、柱の彫刻や極彩色の塗装など、装飾が豪華です。
民家
民家の代表的な間取りは田の字型の間取りです。