インテリアコーディネーター試験では、「インテリアコーディネーターの誕⽣とその背景に関すること」について出題されます。
インテリアコーディネーターが誕生したのは1980年代だよ
戦前は、卓袱台(ちゃぶだい)で食事をして、寝るときは卓袱台を片付けて、そこに布団を敷いて、家族みんなで寝るという生活様式が一般的でした。
戦後は、食事する部屋と寝る部屋を分けた間取りが普及し、部屋ごとにインテリアを整えるようになり、インテリアに関する専門的な知識を持つ人材が必要になりました。
戦後から1980年代までの住宅の移り変わりをみてみよう
1950年代
1945年(昭和20年)に終戦を迎え、住宅不足解決のために、簡易住宅が建てられました。1950年に朝鮮戦争がはじまり、日本は戦争特需で経済が回復し、本格的な復興が始まります。
1951年には公営住宅法が制定され、51C型住宅が普及していきます。51C型住宅は、「1951年公営住宅の標準設計のC型」という意味で、2DK(2つの部屋と台所兼食事室)のCタイプ(12坪)です。ちなみにAタイプは16坪、Bタイプは14坪です。51C型住宅は食寝分離の考えを取り入れていて、DK型の間取りの原型です。更にn+LDK型住宅に発展していきます。
1955年頃から高度経済成長期が始まり、大都市に人口が集中します。都市部の住宅不足を解消するため、1955年に、日本住宅公団(現・都市再生機構)が設立されました。
第33回(平成27年度)の試験では、「昭和30年から昭和40年ごろの住宅大量建設期に始まった集合住宅や工業化の展開は、…」という風に、和暦で出題されました。和暦と西暦が分からなくなると困るで、とりあえず、試験でよく出題される日本住宅公団が設立された1955年は昭和30年と覚えておきましょう。
覚え方は「午後3時の紅茶」です。公団住宅で午後の3時に優雅に紅茶を飲んでいる場面を想像しながら覚えてください。
「公営住宅」は地方公共団体が管理する低所得者向けの賃貸住宅です。
「公団住宅」は日本住宅公団が管理する集合住宅で、今はUR賃貸住宅と呼ばれます。
1960年代~1980年代
高度経済成長期(1955年~1973年)には、人口が大都市に集中し、大規模なニュータウンが建設されるようになります。東京オリンピック (1964年)、大阪万博 (1970年)が開催されたのはこの頃です。
大量の住宅を品質良く安価に建築するため、工場であらかじめ組み立てた部材を現場で組み合わせて完成させる工業化住宅(プレハブ住宅)が誕生しました。
プレハブ住宅のプレハブは、プレファブリケーション(pre-fabrication)の略称です。「プレ」は「あらかじめ」、「ファブリケーション」は「製造、組み立て」という意味です。
この時代、三世代世帯が減り、核家族が増え、家電・家具の需要が高まっていきます。1973年には、通商産業省(現:経済産業省)にインテリア産業振興対策委員会が設置され、「インテリア」という言葉が一般的に使われるようになりました。
ライフスタイルが多様化し、様々なインテリアエレメントが作り出され、おしゃれで快適な住まいにしたいという要望に応えるなかで、幅広い商品知識を持ち、住まい手が必要とする生活空間を作り上げる専門家として、1980年代にインテリアコーディネーターが誕生しました。
インテリアコーディネーター試験を実施している公益社団法人インテリア産業協会が設立されたのは1983年です。ディスニーが好きな人なら、東京ディスニーランドが開園した年と同じと覚えると良いかもしれませんね。暗記するときは、自分の身近なものや、自分の好きなものと関連させて覚えると記憶に残りやすいです。